ソーシャル・エコロノミクス
無人島へ、ある10人が漂着しました。
彼らの名は、A〜J。覚え易いよう、便宜上そういうことにします。
彼らはその場所に留まり、救助を待つことにしました。という事は、その無人島で生活をしなくてはなりません。生活をする為に、まず必要なのは水と食料です。そこでA達10人は、まず水を探す事にしました。
一日目、Aたちは全員で水を探し、ほぼ丸一日がかりで、なんとか湧き水を発見しました。
二日目、水は確保したので、水汲みの係を2名決め、他の8名で食料探しをする事にしました。山や川や海で、山菜や果物や魚や蟹などを探します。幸いにもこの島は、豊かな自然に恵まれており、食べ物を探すのに苦労はしませんでした。
三日目、水と食料が揃ったのならば、今度は住む場所を作ろうと考え、A達は水汲み係を2名、食料探し係を3名決めると、残りの5名で"家"の建設に取りかかりました。
四日目、五日目、六日目、家の建設にはそれだけの時間がかかり、七日目に大体の建設が終りました。
八日目、水汲み係に2名、食料探しに3名、家の増築や補強に3名が当たり、残りの2名で保存食を作る事にしました。いつ何時、食料が足らなくなるか分からない。その為の対策ですね。
さて。この流れを観て、何か分かる事があるとは思いませんか?
一日目は、全員で水を探した為、A達が得られたのは水だけでした。二日目は、二手に分かれて作業を行った為、水と食料をA達は得ることができています。三日目〜七日目では、更に人手を割いた為、それに家が加わり、八日目は更に仕事を分担し、保存食を得る事ができました。
簡単で当たり前の事なんですが、皆で一つの作業しか行わなかったらば、一つの生産物しか得られない。作業を分担して、二つの作業を行えば、二つの生産物。三つに作業を分担して行えば、三つ…… という風に、作業を分化していくにしたがい、得られる生産物の種類は増加していくのです。
この先、この島で暮らす10人が、どんどんと作業を分担していけば、どんどんと生産物は増えていくのですね。服だとか、おもちゃだとか、楽器だとか。
もちろん、作業を分担するには、人手が余らなくてはなりません。水や食料を探すのに、毎日10人全員が働かなくてはいけなかったのならば、家を建設している暇などありませんから。水と食料が、5名だけで得られたからこそ、残りの5名の人員を家の建設に当てられたのです。
つまり、生産効率が向上し、人手が余らなくてはいけないのですね。
――これは、実は、人間社会の発展の歴史を観ても同じ事が言えます。
農耕や畜産が誕生、発達したお陰で、全員が食料生産に従事する必要がなくなったが為に、人間社会は、他の様々な種類の生産物を得られるようになりました。家や、着る物や、芸能や、装飾品や、医療や、武器等……
農家が食料生産の役割を担い、社会で暮らす人全員分の食料を生産してくれなかったのならば、パソコンを作ってくれる人も、本を作ってくれる人も存在できないのですね。
"人間は食うに困らなくなって文明を持った"
です。
―――さて、しかし、小さい場合には問題にならなくても、集団が大きくなると問題になってしまう事があります。
皆で様々な作業を分担し、皆が生産した様々な生産物を得る。というのは、言い換えれば、自分の生産した物と、他の人が生産した物を物々交換している事と同じです。ところが、物々交換というのは、実は、大変に効率が悪いのです。
自分にとって必要な物を誰が持っているのか分からないし、相手が欲しがっている物を自分が持っているかも分からない。
大量に流通し、しかも、皆が共通して欲しがっている物を媒体とすれば、その問題を改善できるのですが、中々、そのように都合の良いものは存在をしません。
食糧は、その条件を満たしているように思えますが、それでも充分とは言えない。そこで、人々はその条件を満たすものを作り出す事にしてしまったのです。皆の間の約束事として、大量に流通できるものに、これには『価値』がある、と、そう決定をしたのですね。
もう分かっている人もいるとは思いますが、つまりは、それが"通貨"です(因みに、だから歴史上、食糧が通貨の代わりになっている事がよくあります。年貢米、なんかがその代表例でしょうか)。
自分が生産した物を売り、それで"通貨"を得て(つまり、労働賃金を得て)、他の人が生産した物を買う。これは"通貨"を媒体として、物々交換を行っているのです。
では、先の無人島に漂着をしてしまったA達10人に、通貨を存在させてみましょうか。
一日目、10人で水を探したのだから、10人で水という生産物を人数分得、10人に売っている、という事になります。一つを10円だとするのなら、10×10円で、100円分の通貨の流れがあります。
二日目、2人で水を汲み、他の8人で食べ物を探しました。労働価値を等価とするのならば、皆所得は同じにしなければいけません。そして、価格の変動がないのであれば、水を売った2人の収入は、10人に売っている(10円×10人)のだから、100円÷2人で、一人当たり50円。一人当たり50円ならば、皆、所得が同じなのだから、食べ物を探した8人の収入は、8人×50円で、400円でなければいけない事になります。ということは、400円を10人に売っているのだから、食べ物一つの価格は、40円。
二日目を整理すると、こんな感じです。
一人当たりの所得:50円
水汲み :価格10円 労働者数2人
食料調達:価格40円 労働者数8人
* 所得は、皆平等 それぞれが、全ての生産物を同じ数消費している。
(ここでの注意点を上げておくと、*の条件で、何処かの価格を決定すると、他の価格も自動的に決定をされ、その関係は 労働者数の比=生産物価格の比 となります)
ちょっと話が難しくなってきてしまいましたが、ここでの要点は、作業の分化が進んで、生産物の種類が増えると、経済が実質的な発展をする、という事です。それさえ把握してもらえれば大丈夫です。
一日目は、100円の通貨の流れだけであったのが、二日目になると500円の通貨の流れになっているのです。経済発展の様子は明らかでしょう。
これは、現実社会にでも、もちろん当て嵌まります。
産業革命が起こり、工場が誕生、それで生産効率が高まると、様々な他の生産物もどんどんと現れました。
昔、"何もなかった時代"から、車、テレビ、DVD、パソコン、エアコン、電話、携帯電話etc……と、生産物の種類は増えています。つまり、作業の分化の発展が、そのまま経済発展である、とどうやら言ってしまえるようなのです。
さて、物々交換の媒体として登場したのが"通貨"である訳ですが、この媒体には様々な性質…、或いは機能が存在をします。
何か仕事をしなければ、人は通貨を受け取ることができません。逆を言えば、それは、通貨が仕事をした証拠になっている、という事が言えるでしょう(もちろん、労働を免除されている例外は存在するのですが)。
もしも、狭い範囲で、誰かサボっている人がいるとしたら、病気などの仕方ない理由がなければ、皆、その人の事を非難するでしょう。そして、報酬を渡さないなどといった罰を考えるのが普通です。しかし、広い範囲の場合、仕事をしていない人がいても、それは中々把握し切れません。ですが、そこで通貨が労働をしたという証拠になるのならば、その問題を解決できます。通貨がなければ、生活ができない為 "働かざる者、食うべからず" が自動的に成立をするからです……
……ですが、しかし、"働きたくても働けない人"がいたとしたら、どうでしょうか?
――無人島で暮らすA〜Jの10人は、それぞれが様々な仕事を行い、様々な生産物を得る事に成功をしていました。水や食べ物や家ばかりではなく、着る者や飾りや遊ぶ物などを開発していたのです。Cなどは、歌を歌って皆から喜ばれていました。しかし、その中で、JとIだけは少し困っていました。やる事がなかったからです。皆、それぞれで仕事を持っているのに、この2人だけは仕事を持っていなかったのです。その2人が何もしなくても、それぞれの仕事で人手は充分に足りていたので、IとJは必要なかったのです。生産物を分けてもらえない、などといった事にはなりませんでしたが、それでも、後ろめたい気持ちにはなります。……さて、どうしましょう?
働きたくても働けない人は、存在します。10人働いて生産していた物が、2人だけでも生産できるようになったとします。先の無人島の例だと、残りの8人は直ぐに新しい生産物…… この場合は食べ物でしたが、を得る仕事に就けましたが、当然、何も仕事がない場合だって存在するのです。
すると、その何も仕事のない人達は、現実社会では失業者になります。当然、労働賃金は得られないのだから、生活をしていく事ができません。そして、この失業者の存在は、その人達にとってのみの困った問題、という訳ではないのです。
"通貨" というものが循環をして、成り立っている社会の場合、他の人達にもそれは悪影響を与えます。何故なら、失業者を作ってしまうと、循環の一部が切れてしまうからです。通貨は、労働者→消費者 消費者→労働者 と循環しています。労働者→消費者の流れを断ち切ってしまったならば、当然、消費者→労働者の流れも切れてしまいます。すると、その流れが切れた分だけの人が、また新たな失業者になります。つまり、失業者の存在は新たな失業者を生むのです(失業ほどではありませんが、労働賃金が減少し、所得格差が生じた場合でも同じ効果があります)。
これが不景気という状態の一つの正体です(物資が不足して、起こる不景気もあるので全てではない)。
そして、不況をはね返すほどの新たな生産物の誕生がない限り、短期的には回復をする事はあっても、不景気はどんどんと進行をし、やがては限界にまで至ります。
大恐慌状態です。
生産効率が上昇をし、余った人手で何か新しい生産物を生産する。それにより、作業の分化が起き、それが、経済発展なのだと書きました。しかし、需要が飽和状態を迎えていて、もうこれ以上、人々が新たな生産物を望まないような状態になっているのであれば、新たな生産物は絶対に誕生しません。
では、今(2004年2月現在)の、状態がもしそうならばどうなるでしょうか?
もちろん、完全に限界ということはないでしょう。――しかし、一つの壁にぶつかっている事は確かではないでしょうか?
不況に入ってから、もう随分と時間が経っていますが、それでも、消費者需要は回復をしてきませんでした。
既に、これまでに何千人という規模の人が、不景気の影響で死んでいますが、恐慌にまで至ってしまえば、被害者の数は、その比ではありません…。もちろん、今これを読んでいるあなただって例外ではない。その被害者の内の一人になる可能性が濃厚です……
無人島で暮らすA達10人の生活は、当初では考えられない程に豊かなものになっていました。しかし、生活が豊かになれば、当然のようにゴミが増えます。また、その生活によって、環境も破壊してしまいます。僅かな影響ですが、それでも、それは生態系に悪影響を与えていました。
IとJは、何か必要な仕事がないか、と探す内に、その事に着目をしました。Iはゴミを再利用できるものは再利用し、もう使えないものは、きちんと、害にならないように処分するといった事を行い、Jは、食べ物や木材の調達などの為に、破壊してしまった環境の修復に当りました。それで鳥が住めなくなったり、動物の数が減ってしまった草原があったのです。それらの仕事は皆から感謝をされ、そうしてIとJは、自分の仕事を持つに至ったのでした。
文明が誕生をして以降、産業革命以降は特に、ですが、人々の生活はどんどんと裕福なものになっていきました。
しかし、その過程で同時に、様々な問題も発生させてきました。環境問題が代表的な例ですが、大量破壊兵器の誕生や、新たな病気、または、これまでとは違ったタイプの教育問題などもそれに当るでしょう。
では、これらの問題は解決できないのでしょうか?
技術力は… 差こそあるものの、かなり発達をしているようです。また、その技術力はこれからも発達をする、と考えてまず間違いはないでしょう。
人手…… 人手がなければ、幾ら技術力があったとしても、それを活用する事はできませんが、今の社会の現状を観るのならば、失業者が多く、充分に人手は余っているようです。労働技術や能力の習得の問題はもちろんあるのですが、それも、学んでもらえれば解決できます。
需要…… 幾ら技術力と人手があったとしても、人々がそれによって作り出されるものを必要だと需要しなければ、その機能は動きません。問題解決の為に、人々が通貨を遣ってくれなくては、様々な問題を解決する事はできないのです。そして、恐らく、今不足している必要な要素はこれだけなのです。
生産効率が上昇し、人手が余る。その余った人手を何にも用いなければ、その人達は失業者になってしまい、社会に不景気を齎します。しかし、その人達に問題解決の為の仕事を行ってもらえれば、経済が発展をし、景気が回復するだけでなく、様々な良い影響を社会に与える事ができるのです。
環境問題改善や、福祉、教育、その他多数…… 社会的に必要とされていて、不充分な仕事は幾らだってあるのです。
では、余った人手に、その為の仕事に就いてもらう為にはどうすれば良いでしょうか? 簡単です。その為に通貨を遣わなければいけない、というルールを作ればいいのです。例えば、クリーンエネルギーや、害を与えないゴミ処理システムに、です。足らない要素は人々の需要だけなのですから、需要を無理矢理にでも作ってしまえば言いのです。そうすれば、その為の設備も整えられ、そこに仕事が誕生をします。
"通貨" の量の問題ならば、考えなくても大丈夫なのです。通貨とは、元々ただの媒体。実質的な価値など存在しませんから、新しく増えた生産物とセットで、その部分と同量の通貨ならば、問題なく、幾らでも発行する事ができます。最初は直接消費者に配る形にしたって良いでしょう。もちろん、それで支出は増加しますが、その代わりに、収入も増加するので大丈夫です。通貨とは、循環をしているものだから、基本的には、遣えば遣う程、入って来る量も増えるのです。
ただ、所得格差の問題によって、それがスムーズにいかない場合も想定できます。ですが、これは、できるだけ所得格差を作らない、といった取り組みや、低所得者には支払いを免除する、だとかいった事を行えば充分にクリアできます。
後は、市場原理が働くようにうまく工夫をしさえすれば、恐らく、致命的な欠陥はないはずです…… つまり、充分にこの方法は実用が可能だと判断できるのです。
これらの思考が、単純なモデルを用いている為、それを複雑な現実には適用できないのではないか?と訝しがる人もいますが、それは違います。もちろん、このモデルで現実社会の経済が全て分かるという訳ではないのですが、それでも、分かる事はあるし、適用できる事はあるのです。そして、その適用できる部分を選んで、僕はこの論を結びました。
複雑化によって適用できなくなるのならば、適用できない理由が必要です。どれだけ、複雑化しても、その通りになる事ならば、その通りになるのです。
因みに、自然科学はこれまで、単純なモデルを基礎として発展をしてきました。しかし、現実を観れば分かる通り、それを活かす事ができています。
……僕がこの論を考え出してから、既に数年が経過をしています。その間で、数千人の人が不景気の影響で死んできました。僕は、なんとかこの方法を社会に伝えようと足掻いたのですが、どれも大した成果なく終っています。もし仮に、これを社会に伝えられていたならば、その人達は死ぬ必要はなかったのに……
今(2004年2月)、日本は、七百兆円にもなる莫大な財政赤字を抱えています。政府は、景気の回復に伴ない、財政は三年後には黒字に転じ、この借金を返せるとの楽観的な見通しを持っていますが、景気が回復をする、という保証はありません。そして、もし景気が悪化するか、或いは、その回復が微々たるものであったとしたなら、財政はやがて破綻をしてしまうのです。
つまり、時間はそんなにはありません(日本が、障害者福祉にかけている費用は、先進国の中でも最低クラスです。寄付金がなければ、多くの施設で、運営が成り立たない程です。しかし、財政赤字の影響を受け、そのただでさえ少ない障害者福祉への支給を減らそうと、今、国は動いています。つまり、それだけ事態は逼迫しているのです)。不景気の問題だけでなく、財政赤字の問題もある為、事態はより深刻なのです。
そして、このままでは景気は回復しない、と考えた方が良いと僕は判断しています。論拠はあります。まず、所得格差が増大している点。先に述べましたが、これは景気悪化の要因になります。次に、新たな生産物が誕生しているようには思えない点。DVDなどの製品は誕生していますが、代わりにビデオがなくなるなどといった事が起こっていますので、経済効果的には意味がありません。三つ目は、IT発展によって、生産効率の上昇が更に起こっている点です。
大手デパートなどの業績が上がっている一因として、ITによって、途中の卸売り業者などを省けるという点があるそうです。そうすれば、コストダウンになる為、確かに業績は上がるのですが、その反面、新たな失業者を作ってしまいます。プログラムとして、生産物を販売できる生産物の場合、インターネットを介してのダウンロード販売ができる為、これはより顕著です。実際それができる音楽業界では、この現象は既に見られています(アメリカで、それが原因で潰れた会社があります)。
もし、経済が恐慌状態に陥れば、社会は悲惨な状態になる為、どうしてでも防がなくてはなりません。それは、戦争やテロよりも、もっと多くの人死にを齎します。というか、そもそも紛争の激化をそれは齎します。社会は不安定になり、犯罪が多発し、幼児虐待などの問題や、環境問題だって酷くなります。
ですが、それだけではありません。
もし、仮に、このままでも経済が回復できるのだとしても、それによって、環境問題やその他の問題が酷くなるのでは意味がないのです。今を放っておけば、そうなってしまう可能性は充分にあるのです。だから、今、動かなくてはなりません。
解決しましょう。
ここに、その為の方法があります。
今まで述べて来た方法さえ、社会に伝えられれば、様々な問題を解決改善できます。どうか、手伝って下さい……。
意見、反論、または更に詳しく論を読みたいという方は、下記のURLまで、よろしくお願いします。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/take-t/
この文章は、様々な人に配布する事を目的として書いたものです。もちろん、社会に広くこの方法を伝える為に、です。だから、どうか、これを読み、少しでも心を動かされたなら、この文をコピーし御自分のHPへ貼ってください。自由にコピーをして下さって結構ですので(因みに、今のこの文章も含めて、最後までのコピーをお願いします)。
ただ、貼ってくれるだけで結構です。
書いてある内容に関する責任は、全て僕が持ちます。絶対に、それ以上の協力を求めたりはしません。もちろん、プリントアウトして、配ってもらっても大丈夫です。無承諾でも、一向に構いません。
来賓 ( 2 )
”百”さんの 社会経済学の理論
ある日、ある夜、突然メールが舞い込んで来た。
通常の小生は、この手のメールは開けない事にしている。
”この理論、HPの何処かに貼って呉れないかな...”
え・ぇ?!!ガ、ガーンと脳天に来た、少し冷静さを失った、小生は
何度も何度も、この記事を読み返して見た。そうしている間に何故か色気
のある糸と繋がっていった。思考能力の範囲内で相手のプロフィル(自己紹介)
の提示を促した。結論として、期限と、最低条件つきで本HP上に公開する事を受託した。
このページにお出での皆さん、一度この理論をお読みになってお帰り下さい。
学者の簡単な自己紹介をしておこう。
ペンネーム : 百 (もも)
本名 : 竹森 輝彦 28歳 男
日頃の信条 : 社会問題、経済問題理論の研究者
性格(自称) : 比較的気弱で物欲あまりなし
職業 : 現在プログラマー